interlock-web_zettaikagushounenの日記

少年のように家具を作る

「考える」

昨日少し怒りました。
内容はともかく、「考える」をしない事が引き起こす、
逆に言えば、「考える」をしていれば防げた失敗でした。


「考える」をしていればなぜ防げたと言えるのか?


「このように仕上げたいから、準備をしてきたのに、なぜこうなっている?」と聞くと、
「あ〜〜」と下を向く
「この結果がアカンのは解るな?」重ねて聞くと、
「はい、だめですね。」と答える。


駄目だとわかるという事は、何が正解なのかは分かっていたという事です。
正解を解る知識も、経験も、能力も持ち合わせているのに、結果が違うのはなぜ?
責め立てることはしていませんが、「考える」と言う事を何度も言う訳を理解してくれる機会になれば
それはそれで、仕方がないかなあ・・・


「人に喜んでもらう仕事をしたいのであれば、喜んでもらうために何が必要か、何をすればいいのか、
頭と体と時間を使って、必死で「考える」をしないと、結局は自己満足に終わるで。」


自分自身で放った言葉を聞いて、思わずはっとしました。
「考える」事をすれば、失敗が無くなる、物が綺麗に出来上がる、無駄が無くなる、等々
仕事としての効率をいかに良くするのか、という視点に立って使っていたのかも知れない。
私自身が「自己満足」をしていたのではないか。


社員さんの行動は、自分自身の行動の鏡なのかもしれない。
人に喜んでもらうための「考える」の意味を、今一度振り返る機会でした。


やっぱり難しい事を言っているみたいです。
分かり易く、行動に移しやすい伝え方を考えないとだめみたいですね。





山本